東京電力福島第一原発の事故を受け、当時の菅直人首相は2011年5月6日、中部電力に浜岡原発の運転停止を要請した。全号機が止まったのは同月14日。10年がたち、いまも停止が続いたままの浜岡原発をどう見ているのか。
――10年前の停止要請に至る経緯を改めて教えてください。
「南海トラフ地震の危険性が以前から指摘され、特に浜岡原発については私の頭にあった。当時の私は福島の原発事故に関しては原子力災害対策本部の本部長だったが、ほかの原発は原災本部の対象ではなく、私自身が能動的に行動をとろうとしていたわけではなかった」
「海江田大臣(経産相)が5月6日、私のところにきた。自らの判断で前日に視察した大臣が『浜岡の再稼働は止めるべきだ』と提案してくれた。担当大臣が現地で中部電の関係者と会ったうえで私に提案してくれた意味は大きい。浜岡は日本の中心で、そこで事故が起きると東海道新幹線も東名高速道路も寸断されるなど日本が真っ二つになる。私の心配と共通していたので総理として賛同した」
■「日本で最も危ない原発は浜岡」
菅氏は、いまも「日本で最も危険」とみている浜岡の再稼働について、どう考えているのでしょうか。記事後半では、東京電力福島第一原発事故後の経産省の「シナリオ」についても言及しています。
――その後、規制委員会の審査も進んでいない現状をどうみますか。浜岡の全炉を廃炉にすべきだという主張に変わりはありませんか。
「結論からいうと変わりない…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル